COLUMNコラム

なぜ「家族」がいないと困るのか

私たちはそれぞれ一個の独立した人間であるのに、なぜ老齢期に差し掛かってくると、「家族」がいないために困ることが出てくるのでしょうか。

人がその権利と義務を持ち得る主体となる期間は、出生から死亡まで……という法律の考え方が、その一因となっているかもしれません。「死人に口なし」とはよく言ったもので、人は亡くなった後に、自分の権利を主張することはできません。 しかし、生きている間に持っていたその人の権利が、死亡とともに消えて無くなるわけではありません。

日本の法律では、生前持っていた権利も義務も、死亡とともに「相続人」に引き継がれて存続するという考え方を採用しています。 さらに、生きている間であっても、その人が意思能力を失っている状況にあるときは、自らの力で意思決定をすることができないので、責任を取ることができる他の「誰か」が、その人の意思決定の支援をしなければなりません。

つまり、若い人たちに比べて病気になるリスクも、そして遠くない将来に亡くなるリスクも高い高齢者と、何らかの取引をしようとする事業者には、その高齢者の「相続人」(つまり、家族・親族)に関わってもらうことで、トラブルを未然に防ごうというインセンティブが働くわけです。こうした傾向は、家族のカタチが変容してきたと言われる昨今でも、少なくなるどころか逆に強まってきているのが現状です。

「そんな人、私にはいない」と悲嘆しないでください。生活を共にしているような身近な「相続人」(家族・親族)が、呼べばすぐ来てくれるという高齢者は、年を追うごとに減少の一途を辿ってゆくでしょう。 解決策としては、①高齢者と取引をしようとするすべての事業者(病院や高齢者施設も含みます)が、その高齢者の意思決定に関わってくれる家族や親族がいなくてもよしとするか②家族や親族以外の人や団体が、高齢者の意思決定に関わることができるようにするか、このどちらかしかありません。

①の解決策の方が簡単そうに思えますが、これは事業者にとってのリスク負担が大きすぎて、持続可能性を考えれば受け入れがたいのではないでしょうか。

日本社会全体として、頼れる家族や親族がいなくても老齢期を迎えられるように、②の解決策を誰もが選択できる仕組みづくりが急務となっています。 そして近年、さかんに多様性を認め合う風潮が日本社会でも根付きつつあるにもかかわらず、どこに行ってもすぐに「ご家族は?」「お子さんは?」と平気で質問されてしまう現実にも、一石を投じなければなりません。

堂々と胸を張って「私は家族に頼らないおひとりさま」として、当たり前に老後とその先を迎えられる世の中にしたいものです。

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