「葬儀」は誰のものなのか

「終活」と聞いたとき、最初に何を思い浮かべますか?
多くの人は「お葬式」のことを考える場合が多いのではないでしょうか。そして、頭の中に思い浮かべる「お葬式」とは、式場に祭壇があって、にこやかに微笑む遺影が飾ってある風景などでしょうか。
「葬儀」「葬式」を厳密に定義することは難しいのですが、人の死を弔うために行われる祭儀・葬制の一部であると言うことができるでしょう。一連の「葬儀」の中に、通夜、告別式、葬儀式、火葬などが含まれており、これらを総称して「葬儀」「お葬式」と呼んでいます。
これまで日本では、死を語ることをタブー視する傾向にあり、葬儀については、人が亡くなった後に、その家族がすべて準備するのが当たり前でした。だとしたら、そうやって営まれる葬儀は、大切な人を亡くしてしまった家族がその死を受け入れるためのものだったのではないでしょうか。もちろん、それも大切なことですし、亡くなった人とそのご家族が一心同体のような関係であったなら、故人もそれを望んでいるのかもしれません。「心の整理がつくのなら、派手に葬式をやってくれればいいよ」と。
一方で、私は10年ほど前に母に言われた一言で、ハッと気づかされたことがあります。母は「私ね、死に顔をいろんな人に見られるなんて、まっぴらごめんよ。綺麗なお顔で……とか、みんな言うでしょ?見世物みたいにされたくないわ」と言ったのです。 当たり前ですが、お葬式のときにその当事者はこの世にいません。いないのですが、やはり葬儀は参列者だけものではなく、送られる当事者のものでもあると思います。
「家族が自分の死に気持ちの区切りを付けて、前を向くためだったら、好きなようにやっていい」とするのか、「季節のお花でいっぱいの花祭壇で見送ってほしい」とするか、はたまた「通夜も告別式も祭壇もいらない。直接火葬場でお骨にしてほしい」とするのか。大切なのは、自分自身の「葬儀」を他人任せにせず、自分事として考えることで、それが終活の第一歩です。
病院からの訃報の第一報は誰が受けてくれるのか、そしてその人は、何を差し置いても病院に駆け付けてきてくれるのか。病室から霊安室に移動するところから「葬儀」が始まるわけで、誰が葬儀の内容を決めてくれるのか、誰が喪主をやってくれるのか……。
ご自身の「葬儀」をイメージするところから、まずは始めてみましょう。